12月11日(日)、東京大学本郷キャンパスの鉄門記念講堂にて、『Dentistry, Quo Vadis? フロネシスに基づいて(Ⅻ)ナチュラルティース・ルネッサンス ー天然歯から「咬合学」ー「歯と力 - 骨」を考察するー』 が開催された。本シンポジウムはコロナ禍を経て3年ぶりに開催され、会場には多くの参加者が集まった。
会場となった東京大学の鉄門記念講堂
Dentistry, Quo Vadis?とは
Quo Vadis?とは、ラテン語で「どこに向かうのか?」という意味である。Dentistry, Quo Vadis? は、歯科医療において基礎研究と臨床を繋ぎ合わせるシンポジウムであり、基礎研究・臨床の双方から歯科医療を牽引するメンバーが講演者・コメンターとして集い、数年単位でテーマに沿ったコンセンサスを形成していく。
2001年学術セミナーに端を発し、東京歯科大学名誉教授の高添一郎先生の「臨床と研究の乖離は許されない」というの言葉を根底に据えて、2002年より活動を開始した。
1stステージとされる第1回〜第10回および第11回の総括において、う蝕、歯周病、不正咬合の病因・治療・予防についてこれまでの知見を検証・議論し、歯科医学にとって“骨”が重要であるというコンセンサスを得た。
そこから出発した2ndステージでは、骨代謝研究からインプラント「学」確立に向けた知的財産を得た。そして、2017年より「咬合学」の基準の確立に向けて動き始めた。不正咬合の検証においては、用語不統一・概念の不一致で議論は停滞したが、それを経て正常咬合の検討に舵が切られた。第23回となる今回は、これまで得てきた成果を基礎にして、咬合のキーである「天然歯」について「萌出、機能」を取り上げて考察された。
午前の部「正常咬合とは?」ー口腔機能の観点からー
「文化功労者顕彰を受けて考えた歯学の将来展望」
歯科医療を代表する研究者であり、日本学士院会員である須田立雄先生による講演が行われた。
Dentistry, Quo Vadis?の歴史を振り返りながら、医歯二元論に基づいて発展してきた日本国の歯学研究に残された問題は、「咬合の問題」と「力と歯・歯周組織」の研究ではないかという考えが述べられた。また、医歯二元論に一元論的観点を盛り込むことの重要性が、歯科医学の歴史から紐解かれて説明された。
歯科を超えた幅広い学問からの示唆を織り交ぜながら、歯学研究の将来を占う「咬合と歯・歯周組織」の問題について、いまだ解明されていない疑問点の提示が行われた。
Dentistry, Quo Vadis? 前説
兵庫県開業の江本元先生による前説では、Dentistry, Quo Vadis?の歴史を紐解きながら、臨床家がいつ基礎医学を必要とするのかが語れた。臨床家の視点から、「明日からできる」「簡単にわかる」と銘打たれて共有される知識の栄枯盛衰と比較して、基礎研究に基づく知識の普遍性や価値の高さが語られた。
その上で、Dentistry, Quo Vadis?が検証してきた不正咬合と骨代謝との関連性に触れ、遠くて近いこの2つの要素を繋ぎ合わせたコンセンサスを確立していくために、基礎研究者と臨床医が一堂に会して議論することの意義が述べられた。現実問題として、不正咬合との向き合いにおいて、歯科医師の数だけ治療方針がある。Dentistry, Quo Vadis?を通じて、サイエンスベースでのコンセンサスが得られることで、医療として一番大切な「社会からの信頼」が得られていく可能性が語られた。
コメンターを紹介する江本元先生
また、今回のテーマである「ナチュラルティース・ルネッサンス」について、正常咬合に焦点を当てることになった経緯が語られた。補綴物はリハビリツールであり、咬合学は“咬めるため”にある。
先人達の不断の努力の成果として、う蝕・歯周病については予防法が確立されてきた。その上で、日本社会ではDMFT指数が減少してきたため、今後、歯科医師に求められる役割が「どのようにリハビリと向き合うか」から「どのように正常咬合と向き合うか」に変わってくる可能性が語られた。そこにおいては、「歯の発生・歯の萌出・歯のモデリングにおける正常発達を経て、正常咬合を獲得するに至るまでのプロセス」への理解が求められるという。
成長期・育成期の咬合の特徴
明海大学歯学部形態機能成育学講座歯科矯正学分野教授である須田直人先生による講演が行われた。大前提として、成長期における咬合は、咬合を担う歯のみならず、歯を支える歯根膜や顎骨もすべて成長途上にあるため、成人や成長終了後とは異なる特徴が多い。そのうえで、
・なぜ歯が萌出できるのか
・非常に敏感な歯根膜の感覚受容に関して、メカニカルストレスの負荷からの考察
・歯や歯根膜の土台となる顎骨の成長に関して、咀嚼筋によるメカニカルストレスからの考察
が行われ、後の議論及び講演の礎が提示された。
臨床的に見た正常咬合と妥協咬合
ブローネマルク・オッセオインテグレイション・センター院長の小宮山彌太郎先生が登壇し、臨床家の視点からの講演が行われた。
材料・咬合器・デジタルなど、仕事を支えてくれる科学・技術の進歩に対して、歯科医師自身が満足して治療を行ってしまうことの危険性が語られた。ご自身の経験から、テクノロジーに頼った治療を通じて確立させた静的な咬合が、アナログな患者の生体において動的に機能させた際に、患者自身からは「窮屈」と表現されたケースが共有された。さらに人体は経年的に変化し続けるため、咬合「学」として体系立たせるための要素は多様化・複雑化せざるを得ないと言う。そこにおいて、“妥協咬合”という視点が共有され、先達の研究を礎として整理された注意事項の汎用性の高さについても語られた。
午前の講演を受けての討論Ⅰにおいては、須田直人先生・小宮山先生に向けて、多くの質問がなされた。
午後の部 「臨床と基礎から考える咬合」ー「力と骨」の観点からー
午後の部は、歯科医療を代表する3名の基礎研究者による講演から始まった。
「メカニカルストレスと歯科臨床」
東京大学大学院医学系研究科骨免疫学特任助教の塚崎雅之先生による講演が行われた。
歯科臨床のさまざまな局面で「メカニカルストレス」、つまり「力」の存在を感じることが多い。一般的に基礎研究に対しては難しいイメージがあるが、塚崎先生の「力」に関連する基礎研究と実際の臨床とを行き来しながら紐付けていくわかりやすい講演に、Dentistry, Quo Vadis?の価値を感じさせられた。また、最新の研究成果についても紹介された。
「薬理学的視点から見た咬合 ―骨吸収抑制薬を中心に―」
昭和大学歯学部歯科薬理学講座教授の高見正道先生による講演が行われた。歯科で骨吸収抑制薬といえば顎骨壊死が想起するが、日本で使用されている約2万品目の薬の中には、骨吸収抑制薬のように副作用として歯や歯周組織に影響を与える薬も報告されているという。
「力」と「骨」そしてさまざまな生物学的要因が関わっているため一筋縄で解明することは難しいが、それらの報告と歯の発生システムを俯瞰することで、咬合における歯と歯周組織の役割が少し見えてくるという。歯牙の発生・萌出の過程を紐解き、薬との関係性などが語られた。
「骨はダイナミックに躍動している ―メカニカルストレスと骨細胞―」
松本歯科大学歯学部長・生化学講座教授の宇田川信之先生による講演が行われた。
冒頭に、須田立雄先生による破骨細胞分化因子の発見についての1998年のNHK報道の動画が流され、それに端を発する一連の研究と社会に与えたインパクトの歴史が説明された。そのうえで、骨代謝のカップリング機構について、ご自身の研究成果を通じた最新の知見が語られた。
基礎研究の視点からの講演を経て、討論Ⅱでは臨床家・研究者それぞれのコメンターより、さまざまな質問・意見・感想が述べられた。
臨床例を提示 天然歯から考察する「歯の萌出と顎骨成長について」
休憩を挟み臨床家にバトンタッチされ、シンポジウムの総合司会・企画会座長を務める京都府開業の竹澤保政先生による講演が行われた。
臨床医として実際に診てきた咬合治療の原点は、「患者の年齢、つまり顎骨成長発育に合わせて、歯の萌出と顎骨の位置によって上下の咬み合わせが決定されること」にあるという。そこにおいて、いかに歯の萌出と顎骨成長をコントロールするかについて語られた。
総合討論・総評
須田立雄先生と竹澤先生を座長に、午前・午後の登壇者による総合討論が行われ、会場を巻き込んで基礎研究・臨床の双方の視点からテーマに沿って共有された知に対する相互質問・討論が行われた。
コメンターを務める東北大学理事・副学長の佐々木啓一先生
竹澤先生による総評においては、天然歯から咬合学を考えるという新しい領域に踏み込めたことの価値。そして、次回以降のDentistry, Quo Vadis?において、このテーマが引き継がれ深められていき、新たなコンセンサスを形成していく旨が語られた。
総合討論・総評の様子
歯科医師は、知識を技術に当てはめた治療を提供していくことを生業とする。しかしながら、科学としての歯科医療、特に基礎医学研究と臨床を繋ぎ合わせて考え、技術にて体現していくことは容易ではない。容易ではないからこそ、そこには普遍性の高い真の価値があるのではなかろうか。
臨床と研究の乖離は許されない
Dentistry, Quo Vadis?を通じて、サイエンスベースでのコンセンサスが得られることで、医療として一番大切な「社会からの信頼」が得られていく可能性がある
新たな境地におけるコンセンサス確立に向けて、期待が高まる。