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インタビュー 2019/07/05

丸橋理沙さん『歯科衛生士のビジネスモデル』

WHITE CROSS編集部
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日々情報が流れ、先達からもたくさんの教えを受けられる今の時代。

けれども忙しい毎日の中、歯科医療人同士で本音を語る機会は減っているように思います。

 

そこでWHITE CROSSでは、これからの時代の歯科を担う若手を中心に、とことん本音を語っていただきました。

 

今回は関西を中心に歯科臨床を携わり、セミナー講師としても定評がある歯科衛生士の丸橋理沙さん。30歳でクイントの国際歯科大会、34歳ではAO(アカデミーオブオッセオインテグレーション)のロサンゼルス大会で講演し、自身のキュレットも発売するなど、セルフプロデュースに長けている、とてもかっこいい衛生士さんでした。

 

画像クリックで丸橋さんご紹介ページへ

 

ひとつの歯科医院で勤め上げるのも必要だけど、こうやって自由にやっている人間もいるし、一歩踏み出せばこういう人生もあるということを伝えるのが私の仕事ですね。(インタビューより抜粋)

歯科衛生士人生。始まりの5年間

歯科衛生士になった経緯

中高一貫の国際学校に通っていて、元は歯科とは全く関係のない人間でした。皆外国語大学に行くような文系の学校で、私自身も15歳から16歳まで海外に行っていたので、帰国子女として扱われていました。

 

高校2年生の時に日本に帰ってきて、最初は薬剤師を目指していたんです。しかし海外にいたことで日本での勉強が遅れたのもあって希望の薬学部には入れず、どうしようかと考えていた際にリクルートが発行している『高校三年生』という無料雑誌を見ました。そこに『関西初の歯科衛生士学校開講』と書いてあって、体験入学に行ってからはすぐでしたね。興味を持ったのだと思います。

 

 

歯科衛生士学校時代

正直なところ、歯科でアルバイトをしている同期が多かったので出遅れたと感じました。歯式も知っているし、アルジネートも練れるし、そういう点では劣っていると感じました。

衛生士学校としては当時はまだ珍しい3年制でしたので、介護のプログラムやインプラントの講義もありました。いま学生時代を振り返ってみると、私の中では人生の中で一番勉強をしなかった3年間でしたね。

 

ただ、いまとなれば特に専門的な分野はもっとよく聞いておけばよかったと思っています。微生物学とか病理学とかですよね。卒業してから勉強したいと思ってもすごくお金がかかりますし、実はあの時の先生はすごく有名な先生だったのだと後から気付くこともありました。

 

 

卒後に勤務した歯科医院

衛生士学校卒業後は、伊藤雄策先生(神戸/新大阪)のクリニックで勤務をしました。インプラントを教えにいらしていたのが伊藤先生で、衛生士学校の実習先にもなっていたのがご縁でした。無知であった私に対して、「うちに就職しませんか」とお声がけいただき、お給料の話もせず、「お願いします」というのが始まりでした。

そこで5年間。最初のお給料は結構低い金額で働いていましたが、とても勉強になりましたし、やはり最初の勤務先はとても大事だと思っています。ラッキーでしたね。

 

 

伊藤先生からの教え

知識や技術よりも、動けるようになることを教わりました。臨床では特にアシストの仕方、メインテナンスの方法を意識することを求められます。ですので、まずは動けるようになること、手が動かなければ意味がないということを学びました。

 

2年ほどたって、「君は動けるようになったので、次は知識をつけなさい」と言われました。“何故その処置が必要なのか” を後から学ぶんです。すでに動けているからイメージがついているので、学びはすぐ入ってきました。勉強ってどうしても先に文章がきてしまうと苦手になりますよね。その点、私の場合は全く違いました。

 

伊藤歯科医院勤務時代

 

そのうち、1年間の名古屋臨床歯周補綴コース(現・名古屋SJCD)に通い始め、ドクター向けの勉強をするようになりました。リマウントや咬合やペリオなどです。フィールドが違うのでなかなか難しかったのですが、普段伊藤先生がやられていることばかりでしたのでこちらも抵抗はありませんでした。

 

その他にもスウェーデンに研修に行かせてもらったり、ここで学べることは全て学ばせていただきました。外科一式のアシスタントはできるようになりましたし、大切な5年間でした。

 

フリーランスとして独立をする決意。当時26歳

フリーランスへの意識 

伊藤先生が体調を崩された時期があって、その頃からフリーランスになることを考え始めました。

この業界って不思議で、いちから積み上げなくてはならないのですよね。他の業界では次に就職する際にはキャリアを上げていけるのに、歯科衛生士は転職をするとまたゼロから始まる。もしこの歯科医院がなくなったら私はまたゼロから始めなくてはならないと気付いた時に、それは嫌だと思ったんです。

それであれば時期を待つのではなくて、いまからでも勉強をして自由にやろうと思いました。

 

 

フリーランスになる際の目標

30歳でクイントの国際歯科大会に出るという夢を掲げ、26歳でフリーランスになりました。実際に最年少と言われる30歳で登壇し、34歳の時には2回目の講演もさせていただきました。

私の中で34歳はビックイヤーで、昨年は AO(Academy of osseointegration)のロサンゼルス講演もさせてもらいました。衛生士として1時間の講演をしたのは私が初めてで、ひとつの節目になりました。

 

AO講演 ロサンゼルスにて

 

 

自信の源

伊藤歯科医院勤務時代にスウェーデンに行って、いきなり知らない先生のオペアシをできたことが大きかったと思います。どこに行ってもやることは一緒なんだと感じました。国が変わっても言葉が変わっても、どこにいても治療に対する思いやインプラントは同じなんだなって思いましたね。

 

スウェーデンハルムスタッド病院にて

 

初めは伊藤先生が上手だからアシストを出来ていたのではないかと思っていましたが、スウェーデンでひとつ自信になって、納得して、それであればいろんな先生のところに行って自分を試したいと思ったんですよね。それでアメリカに行こうと思いました。

 

自身への挑戦。アメリカでの学びとは

アメリカでの勤務

何故アメリカかと聞かれると、行ったことがなかったからです。友達もいない地で、たまたま紹介していただいたのが Dr. Roy T Yanase でした。そこから紹介をつないで転々と、という形ですね。

 

アメリカでは日本の歯科衛生士免許は使えませんので、歯科助手という形でお世話になりました。いまになってみると本当に有名な先生ばかり。Dr. Bach Le なんかは当時誰も知らなかったのに、今ではUSCのコースもされていて日本でも名前が知れています。

 

Dr.Bach Le(写真左)とWest Coast Universityの歯科衛生士科教授(写真右)

 

 

アメリカでの思い出

アメリカは色んなものを捨てます。すべてがディスポです。感染管理の徹底ぶりが違いますし、保険制度もありません。向こうでは衛生士になるまでに苦労しますが、衛生士として独立した職業であることにはすごく憧れました。 歯科衛生士の地位があって看護師よりも頼りにされているってすごいことですよね。その分背負う責任も大きいですが、やりがいとして素晴らしいと思いました。

 

フリーランスとしてのはじまり

フリーランスの始め方

フリーランスって、なりたいと言えばなれるんですよね。でもなりたいと言ったからといってすぐに仕事が来るわけではありません。

 

私の最初はペントロンのご縁でした。「行って欲しいクリニックがある」と言われ、「私はフリーランスなのでこういう条件で、行ける日は限られていますよ」と言うと、それでもいいと言っていただけました。最低限の収入をそこで得て、他にはチラシを作って “自分はこういうことをしています” ということをアピールしました。

 

そこから東京の菅井敏郎先生が「UCLAのアソシエーションに来て宣伝していいよ」と言ってくださるなど、最初の頃は東京の仕事を多くいただきました。まず初めは知っていただけなければいけないので、知ってもらうところから。2年くらいたってからやっと安定してお給料をいただけるようになりました。

 

 

フリーランスとしての第2歩目

納得できるお給料を得られるようになった頃、そろそろ企業さんとも仕事をしたいと思いました。そこで以前から面識のあったモリタの森田晴夫社長に連絡をしてみると、「ぜひ一緒に仕事をしたい」と言っていただいてモリタデビューをしました。

まずは全国の支店長会議でのセミナーから。たまたま名古屋の支店長が伊藤歯科医院の患者さんであったという縁もあり、名古屋でインプラントのメンテナンスセミナーを始めました。それからも中部デンタルショーには毎年呼んでいただいていますし、モリタには不義理できないと思っています。

 

東京デンタルショー モリタブースにて

 

次にお声がけいただいたのが茂久田商会の茂久田篤さん。そこから白水さんでキュレットを作らせてもらったり、その関係でSRPのセミナーもしましたね。

 

 

今年新たに始めたセミナーとは

3回コースです。1回目は SRPの講義と模型を使ったキュレッタージの実習。2日目は、他ではできないと思いますが5社分の超音波スケーラーを用意して使い比べをする。3日目は受講者のプレゼンテーションとテストを行い、最後にサティフィケートをお渡しして懇親会をするという内容です。

 

丸橋理沙さんによるSRPハンズオンアドバンスセミナー 

下記タイトルからレポートへリンク

1日目「シャープニング、SRPを極める」

2日目「超音波スケーラーを極める」

3日目「受講生による症例発表」

 

いままでは関東全域で単発のSRPセミナーをすることが多かったのですが、参加者が「他にもあったら出たい」と言ってくださっていたのと、皆が集まれる場所を提供したいということから今年からコースにしました。

私が一番伝えたいのは1日でも長く働いて欲しいし、人生の何かのヒントになればいいなって。だから雑談しながら楽しくやらせてもらっています。

 

フリーランス歯科衛生士、丸橋理沙とは

丸橋さんの今後のビジョン

私は5年スパンで物事を考えることが多いんです。25歳-30歳でフリーランスになって国際歯科大会に出る。30歳-35歳の間に世界に出る。それは叶えてきました。だから35歳-40歳はセミリタイアをする準備期間にしようかなと考えています。

上が詰まると出れなくなりますから、こういう活動をしたいという若い人たちがいたらどんどん出てもらいたいし、私は大きいのだけ出て席を譲っていければいいと思っていますね。

 

 

影響を受けた人物

世界で一番上手な衛生士だと言われている、Dr. Antonella Botticelli DH です。Prof. Niklaus P. Lang が彼女が一番の歯科衛生士だと言っていたので、「じゃあ私も世界で一番の衛生士に習いたい」と言って、繋いでもらって行きました。

最初は通訳込み渡航費別で100万円とか言われましたけれど、「通訳いらないから安くして!」と交渉してね。でも実際に行ってみて、それでも安いくらいだと思いました。

 

 

Dr. Antonella Botticelli DH には朝から晩までマンツーマンで3日間トレーニングをしてもらって、それまで手探りだったところが明確になりました。自分がやっていたことは間違っていないと思いましたし、これだったら自分でも発信していける、教えたいと思いました。

 

Dr. Antonella Botticelli DHと

 

 

LM Lisa グレーシーキュレット

白水さんにお声がけいただいて、フィンランドのLM本社でディスカッションをして、グレーシーキュレットを作りました。日本人は口が開きにくいことを話し、口を開けないで済むキュレットを作ればいいと提案しました。LM社には元から曲がったハンドルがありましたので、それにキュレットをつけるなどの試作をしていった形です。

せっかくなら皆に使っていただいてフィードバックをいただきたいと思って、商品化しました。

 

 画像クリックで製品ページへ

 

 

教えるということ

教えることは今後も続けていきたいと思っています。皆が世界に出れるわけではないので新しい情報を独り占めするのではなく、提供していきたいですよね。インプットしたことはアウトプットしてやっと自分の物になると思っているので、教えられると言うことに関しては逆に感謝しています。だから皆にも、院内でもいいし場所はどこでもいいから、学んだことを学んだだけで止めるのではなく次に活かしてもらいたいなって思っています。

 

 

丸橋理沙とは

新しい形の歯科衛生士のビジネスモデルが私なんじゃないかな。そして、それを作っていくのが私の仕事だと思っています。

ひとつの歯科医院で勤め上げるのも必要だけれど、こうやって自由にやっている人間もいるし、一歩踏み出せばこういう人生もあるということを伝えるのが私の仕事ですね。

 

 国際歯科大会やデンタルショーは計7講演!

 

 

やってみたいこと

行けるなら歯学部に行きたいですね。デンチャーとかエンドとかやってみたい。海外ですごく綺麗なデンチャーを見たことがあるので、想像を超えるほどのデンチャーとか作ってみたいですよね。

大学に行ったこともないし、もう一度勉強できるって面白いじゃないですか。知らないことを知りたいし、本当のことを知りたい。論文があっても、これ実際に日本人にはどう当てはまるのって思っていますし、100年後には間違っているのかもしれないけれど、すべて鵜呑みにするのではなくて、実践して納得して伝えていきたいと思っています。

執筆者

WHITE CROSS編集部

WHITE CROSS編集部

臨床経験のある歯科医師・歯科衛生士・歯科技工士・歯科関連企業出身者などの歯科医療従事者を中心に構成されており、 専門家の目線で多数の記事を執筆している。数多くの取材経験を通して得たネットワークをもとに、 歯科医療界の役に立つ情報を発信中。

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