我々臨床に携わる歯科医師は、ただ闇雲に歯を削ったり抜いたりしているわけではなく、どこかで習った知識または経験を頭の片隅に置いて治療方針を決定しています。
特に、過去の臨床研究によるデータを考慮して治療を行うこと、すなわち科学的根拠に基づく治療のことを「Evidence Based Medicine (EBM)」とよんでいることは周知のことかと思います。
この連載では、その中でも臨床研究で判明した「常識とされている数値」にこだわった視点で、実際の臨床ではどう判断され、どう使われているのかを私なりに考えていきたいと思っています。
前回はSRP後の感染の取り残しについて、ゴールドスタンダードと私の見解をお話ししました。
今回取り上げる数値は「2」。頭の片隅にある知識「付着歯肉の幅は2mm以上必要か?」という話題について、その根拠となる1972年に発表されたLangとLoeの論文1)をもとに、紐解いていきたいと思います。
歯周組織の健康の維持に角化した付着歯肉は必要か?
歯周治療を終えて「治癒」または「病状安定」という状態になると、その後はメインテナンスまたはSPT(Supportive Periodontal therapy)で経過を見ていくという流れになります。メインテナンスやSPTの間隔については“その患者さんのリスクに応じて”となりますが、よく話題になるのが「付着歯肉は必要か?」ということです。
歯周治療の大きな目的は、以下の2つです。
① 歯肉縁上・縁下の感染を除去し、進行を止めること
② さらなる再感染を防ぎ、健康を維持すること
ある患者さんに歯周治療を行い、感染を除去したことで病的な状態を認められなくなったとします。しかし歯周治療の結果、歯肉が大きく退縮してしまったケースなどにおいては、非可動性の角化歯肉が失われ、可動性の歯槽粘膜が歯と接している状態になることがあります。
この状態については賛否両論があり、「付着歯肉がないとダメだ」という意見と「付着歯肉はなくてもよい」という意見があります。
先述したLangとLoeらは、病的な歯周ポケットを有していない歯学部の学生32人に対してプロフェッショナルケアを6週間行った後、すべての頬舌側のプラーク指数と歯肉炎指数、角化歯肉の幅を診査しました。また、付着歯肉の幅を知るために、プロービングポケットデプス(PPD)が測定され、付着歯肉幅は角化歯肉幅からPPDを引いた値で算出されました。
6週間後の平均プラーク指数は0.22、歯肉炎指数は0.09、PPDは1.0mmでした。また、付着歯肉幅が2mm以上の部位においては、80%以上が臨床的に健康が保たれていたものの、2mm未満の部位すべてに炎症症状が持続していました。
1,168本のプラークフリーな歯におけるさまざまな角化歯肉幅とその歯肉炎指数(グラフは参考文献1をもとに編集部作成)
歯肉の健康維持には2mmの角化歯肉が本当に必要?
付着歯肉は角化しており、その下にはコラーゲン線維が豊富なことから、機械的刺激や細菌に対して抵抗力が強いことがわかっています。また、付着歯肉は組織学的に上皮性付着や結合組織性付着によって非可動性となっていて、頬粘膜や口唇が動いても一緒に引っ張られて動くなどの影響を受けません。
もし歯の周囲が可動性粘膜であったら、食事のたびに歯周ポケット内に食渣が入ってしまい衛生上好ましくありません。また、ブラッシングでちくちくと痛めば、プラークコントロールに影響が出ることも予想されます。なので、「付着歯肉はあった方がよい」という意見が出てくるのは当然のことです。
LangとLoeの研究から、「必要な角化歯肉の幅は2mm」という数値がよく用いれるようになりました。具体的には「角化歯肉 − 1mm(遊離歯肉)= 1mm(付着歯肉)」という概念になります。
ここで生物学的幅径を思い出してほしいのですが、この付着歯肉の上部1mmは上皮性付着と考えられます。できれば結合組織性付着である方が望ましいので、付着歯肉の幅は少なくとも2〜3mm以上はほしいところです。
そこで十分な付着歯肉をもたない患者さんには、遊離歯肉移植術などを検討することが推奨されています。しかしながら臨床現場で患者さんにこの話をすると、「痛い手術は嫌だ」という方がどれだけ多いかを知ることになります。すると「付着歯肉はなくても大丈夫なのか?」という疑問が浮上するわけです。
Dorfmanら2)は、左右両側の頬側面に2mm以下の角化歯肉および1mm以下の付着歯肉をもつ92人の患者さんに対し、SRPと口腔衛生指導の後にテスト側に遊離歯肉移植術を行い、コントロール側はそのままで2年間の予後を観察しました。結果は、両者ともに付着の喪失(アタッチメントロス)は認められず、2mm以下の角化歯肉の幅も維持されていたと報告しました。
また、この研究を引き継いだKennedyら3)の研究でも、十分な角化歯肉がなくても、6年間の予後においてさらなる歯肉退縮や付着の喪失は認められなかったといいます。つまり、「付着歯肉を得るために積極的に手術をする必要はない」という意見が出てくるわけです。他にも同様の結果を示す研究はいくつかあります。
インプラント周囲にも角化粘膜は必要?
さて、困りました。まず臨床的な実感として、歯の周囲に角化した歯肉があった方が良いかどうかですが、それはもちろんあった方が良いです。それは理屈の上でも、臨床的にもそれが好ましいと知っているからです。
しかし、「どうしても手術は嫌だ」という患者さんに対しては、以下の2つの条件を満たしているかを判断し、手術をおすすめするかどうかを決めています。
・プラークコントロールが良好で定期的なSPTに来院してもらえる
・進行性の歯肉退縮を認めない
天然歯でそうであれば、続いて「インプラントの周囲にも角化粘膜は必要か」という疑問が出てくるのは当然です。基本的には同様の研究結果がありますし、EFP(ヨーロッパ歯周病学会)のコンセンサスレポートでも「インプラント周囲における角化粘膜の有無はインプラント周囲炎との間に相関性はない」とされています。
これらの結果から、天然歯とインプラントにおいては、角化歯肉幅または角化粘膜の幅が不十分であっても、適切なプラークコントロールが確立されていれば、長期間健康を維持できることがわかります。一方で、プラークコントロールの確立が困難であれば、積極的に角化歯肉幅を増やす手術を検討するのがよいのではないかと考えています。
角化歯肉が「なくてもよい」というのには語弊があるものの、「あるに越したことはないが、なくても何とか維持はできる」というのが正しいと考えています。
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LangとLoeの論文が発表された1972年といえば、日本では沖縄の返還や札幌冬季オリンピックの開催、あさま山荘事件が起こった激動の年でした。
そのような時代に発表された論文が、現代でも変わらず臨床家に活用されているという事実には、どこかロマンを感じます。
今回ご紹介した歴史的価値のある論文の内容を知ることで、みなさんの臨床に繋がるヒントが見つかれば嬉しいです。
次回は、歯周外科に踏み切る境界の「5」という数字を取り上げたいと思います。
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参考文献
執筆者
九州歯科大学歯学部卒業後、千葉県内のクリニックに勤務し一般診療に携わる。千葉県佐倉市にて開業後、弘岡秀明先生(スウェーデンデンタルセンター院長)に師事し、歯周病治療を柱としたスタイルの歯科医院へ舵取りをする。その中で歯周病治療後の歯周補綴の重要性を認識し、東北大学大学院にてクラウン・ブリッジを中心とした補綴治療を基礎から学び直す。
現在は地域に根差した診療を行いつつ、スカンジナビアンアプローチを主とした歯周治療およびインプラント治療を軸に据えたクリニックを構える。