都道府県歯科医師会において、地域社会に歯科医療を通じた価値を提供するためのさまざまな活動が展開されている中、WHITE CROSSでは千葉県歯科医師会の活動に注目をしてきた。
2017年に発足された砂川稔執行部は、「8029・健康寿命延伸プロジェクト」というオリジナリティに富んだ事業を通じて、これまでの枠組みを超えた“新しい歯科医師会活動のあり方”と、“地域社会に歯科医療がもたらす価値の広がり”を示してきた。そしてこの6月末、高原正明 新執行部へのそのバトンが渡されていく。
前編では、令和の時代の歯科医師会活動のあり方のモデルケースとして、会長の砂川稔先生、専務理事の久保木由紀也先生、理事の小宮あゆみ先生に、この4年間の活動を振り返っていただいた。
『8029運動』の灯火 千葉県歯科医師会 前編へ
後編では、歯科医師によるワクチン接種について、千葉県歯科医師会の対応。それを踏まえて、コロナ禍の先の日本社会に歯科医療としてどのように向き合っていくべきか。8029運動の灯火についてインタビューを進めていく。
Q. 千葉県歯科医師会は、ワクチン接種に積極に協力していくとお伺いしました。さまざまな意見が飛び交う中で、先生のお考えについてお聞かせください。
砂川先生
このトピックについては、ワクチン接種の担い手問題だけにとどまるべきものではないため、前提から話をさせてください。コロナ禍を通じて多くの日本国民が、この社会が制度疲労や既得権益でがんじがらめになっており、有事下であってもそれらの弊害により物事が前に進んでいかない様を、まざまざと見せつけられたのではないでしょうか。
PCR検査のための唾液サンプル採取が歯科医院において行われなかったことは、その最たるものです。簡単な話で、歯科医師法17条と医師法17条に抵触するということでした。しかしながら唾液を分泌させることは歯科医療現場で日常的で行われている医療行為であり、他のどの診療科よりも唾液について詳しく、また対応できるのが歯科です。
それにも関わらず、歯科医院で行われるべきPCR検査の唾液のサンプリングが違法だというのはおかしな話です。有事下において求められる社会の効率性も、医療の提供価値も、既得権益の塊の中でがんじがらめになってしまっている。そのことについてもっと議論がなされるべきです。
コロナ禍を通じて得た学びを未来に繋げていかなければなりません。歯科外でも同じような不条理が多発している中で、社会の各所で国民を巻き込んだ議論を起こし、世論を動かしていくべきではないでしょうか。歯科においても同様です。歯科医療を通じて提供できる価値とそれを妨げる不条理について、今声を上げて取り組まなければなりません。それをしないのであれば、何のために歯科医師になったのかという話です。
例えば、近年、大きく問題視されている歯科技工士問題もこれに当てはまります。なり手の不足が叫ばれて久しいのですが、歯科技工士という職業に根本的から向かい合わなければ、単純な復職支援ではこの問題は解決できないと私は考えています。
そもそも歯科技工士が作った義歯を口の中から出したら触って良いけど、口腔内に手を入れたら違法ですよっていうのは、理にかなっていない話ではないでしょうか。自分自身が作った技工物がどのように機能するのかまでを観察・調整できてこそ、仕事の質ややりがいも高まるのではないでしょうか。現在、歯科技工士の職域の改革を考えておりまして、厚生労働省の科研費を取りに行こうとしています。歯科技工士が口腔全体を見ることができるように、例えば口腔機能セラピスト的な感じで、法改正も含めて推し進めていくべきだと私個人は考えています。
歯科医師によるワクチン接種から話が膨らみましたが、今回顕在化した歯科医師法・医師法による壁も同様です。数ヶ月前に、とある政治家の方からワクチン摂取について「歯科医師が担う動きがある市町村はないですか?」という電話を受けました。千葉県でも調べて、いくつかの市町村におけるデータをお渡しするなど情報交換をしておりました。今回の歯科医師によるワクチン接種においては、有事下における特例として違法性の阻却措置が取られましたが、歯科医師が受けてきた教育や日常業務を考えると当然対応できることであるにもかかわらず、医師会による合意などが大きな壁となっていました。
今回の歯科医師によるワクチン接種を試金石・突破口として、歯科医師法においてもあるべき社会の姿に向けた改正を進めていくべきであると私は考えており、今回の日本歯科医師会の地区代表質問でもそのようなことを記載いたしました。歯科関係の法律には、本来の歯科医療が提供できる価値を疎外している要素が多々あるのです。
ワクチン接種に話を戻すと、県知事からの要請を受けて千葉県歯科医師会はいち早く動きました。すでに会員の医療機関の約3割にあたる600名近い歯科医師が日本歯科医師会のe-learningを受け、20日には400人近くが実地研修を受けることになっています。社会が求めるのであれば、いつでも動ける準備をしているのですが、実際に貢献できるかどうかについては縛りがあります。ワクチン接種のコーディネートは地方自治体の業務・義務なのです。千葉県が人数を把握したものを、54市町村に通達をして、そこでワクチン接種を行うという流れです。各市町村行政と地区の医師会と話がまとまった上で、歯科医師会にオファーがくるという流れです。
その一方で、オリ・パラ警備にあたる千葉県警の警察官3,000人をはじめ合計12,000人のワクチン接種に、21日から打ち手として参加することが決まっています。ワクチン接種の担い手不足の中で、まさに本当に必要とされている領域でもあり、そういうところにこそ歯科医師のマンパワーを提供していくべきだと考えています。それに加えて、千葉県宅建協会からもワクチン接種のオファーがありますので、積極的に協力する意思を伝えております。歯科医療として提供できることを正々堂々としていく。そういうことの積み重ねが世論を巻き込むステップになっていくと考えています。
Q. 日本歯科医師会の中にシンクタンクを持つべきとお考えだとお伺いしました。
砂川先生
申し上げました通り、歯科関係の法律には、本来の歯科医療が提供できる価値を疎外している要素が多々あるのです。
社会のために何かを変えていくために必要なのは、法改正なのか法令改正なのか。何処にアプローチして、何をクリアーにすればよいのかなどを深く考えていく必要があります。
それらを継続的に検討するシンクタンクとしての機能を果たすボードを、日本歯科医師会の中に常設させ、戦略と具体的な戦術に基づいて実行していくべきではないでしょうか。そこにおいては、政治家との関わり、省庁との関わりなども大切です。
ボードメンバーは著名人でなくて良いのです。他の産業において機能しているシンクタンクの多くが、有名無名ではなく能力においてメンバーが構成されています。適切なブレインを集めたシンクタンクを作って、継続的に社会における歯科医療の提供価値を高めていくために対応していくことができれば良いと思います。
Q. これからの8029運動についてお聞かせください。
砂川先生
「功成り名遂げて身退くは天の道なり」。老子の言葉ですが、ある程度仕事をやったら、多少やり残しがあったとしても、次に託して身を引くべきです。
8029運動は良い事業だと言っていただけますし、我々もそう信じています。ただ、そこに現執行部がいつまでも居座ってはいけません。
現執行部では、これまでの歯科医師会の枠を超えた挑戦をしてきました。それゆえに高いハードルかもしれませんが、新執行部にしっかりと引き継いでもらい、より大きく発展させていってもらいたいなと思います。その中で、必要があればサポートをしていく立場でありたいと思います。
8029運動の目標は県民に周知をして、健康寿命を伸ばしてもらうこと、そしてその輪が国民に広がること。その結果として、健康的な日本社会が実現化されていくことです。超高齢社会において8029運動が定着することを、陰ながら応援していきます。
小宮先生
8029運動は、確かな価値を生んできたと感じています。それは、やはり砂川会長の発想力と行動力、そして実行の速度感があってのものでした。
8029運動がスタートした時も、いろいろな反対意見などもありました。しかしながら、スピーディーに物事が進み、結果が出てくるので「歯科医師会活動を通じて、本当にいろいろ変わっていくのだな」ということを会員の皆様や行政、企業の方々にも共有し、実感してもらえたのではないかと思います。新しいことに挑戦する日々は大人としての青春時代のようで、楽しく歯科医師会活動をさせていただきました。
歯科医師会活動の成否は、会長と専務の人間関係に左右されるといいますが、会長と専務の連携も本当によく、私は砂川執行部で仕事ができてよかったです。
久保木先生
今日のイベントは、現執行部の8029運動の集大成だったような感じがします。ただ、ここで終わってはいけません。8029運動は新執行部に引き継がれながら、来年、再来年とよりその活動の輪が広がっていけばと思います。
この1年間半、世界がコロナ一色になる中で、歯科医師会としてその対応に追われ続け、本当に忙しかったです。8029運動として、他にもっともっとやりたいことがありました。千葉テレビさんとのコラボイベント、イオンさんとのコラボイベント…すべて企画倒れで終わってしまった。悔しいことがいっぱいありました。それでも、我々はこの閉塞感の中でコロナ対策を必死でやってきました。
バタバタしているうちに任期の終わりがきましたが、何というか…達成感のような気持ちを感じています。
この1月に会長がこの6月で現執行部体制を終わらせると決めた時、関係者からはもちろんですが、理事会や委員会と関係ない方々からも「本当にやめられるんですか?」と多くの問い合わせいただきました。そして、セットのように「8029運動はどうなるのですか?」と聞かれました。
「8029運動を生んだのは現執行部かもしれませんが、それを大きく育てていくのは皆さんですよ」と。
今の若い先生方は、捨てたものではありません。すごく発展的な考えをお持ちの先生方が多くいらっしゃる中で、8029運動を大きく育ててくれる人材がかならずいらっしゃいます。次の執行部に良い形でバトンタッチさせていただき、そしてその次の世代、次の世代へと…8029運動が成長していくと嬉しいですね。私はまだ今年還暦です。いつかまた8029運動に関わることができればと思います。まだまだこれからだと!
砂川先生
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」といいますが、歯科医師会の活動でも歴史を見ると良いこともたくさんやってきていますが、間違ったこといっぱいあります。そこで遡ってみてみると、なぜこうなってしまったかの原因が見えてくるところが多々あります。過去の失敗から学び、より良い歯科医療を目指す仕組みを持った歯科医師会になってほしいのです。
これから歯科医師会を引っ張っていく先生方には、大いに期待しています。そして、負のレガシーではなく良いレガシーを残していってほしいと思います。
振り返ると、この上なく人に恵まれた4年間でした。久保木専務に小宮理事は、砂川執行部の要でした。本当に頼りにしています。私が「こういう活動をしたい!」と提案したことの実現に向けて、どれだけ大変でも一緒にやってきてくれました。そして各委員の先生方においても、思いを共有して共に活動してこれたという手応えがあります。
千葉県歯科医師会執行部の皆様
歯科医師会活動って、本当に社会に影響を与えられるのです。この火をたやさずに引きついでいくこともまた、我々の仕事です。私は今年で、65歳です。今後、あと何年このように仕事ができるかわかりませんが、しっかりとした価値を次世代に残していきたいと思います。
大好きな歯科医療で、大好きな仲間と、大好きな野球を通じたイベントができて、本当に幸せでした。4年間、本当にありがとうございました。
取材を終えて
「歯科医師会の活動」と聞くと、昔からある保守的な職業団体の定型的・形式的な活動をイメージする方も少なからずいるのであろう。
「8029・健康寿命延伸プロジェクト」は、我々自身が作り上げてきた常識や慣習の壁を超えて、歯科医療の価値が社会に広がり浸透していくことを証明したのではなかろうか。ゼロからスタートし、行政を動かし、他産業や一般企業との共同事業へと成長してきた。
千葉県内での「8029運動」についての認知度は37.0%
令和元年、房総半島台風にコロナ禍と大難が続いた4年間だったからこそ、また情報の発信や浸透に苦心し続けてきた歯科医療界だからこそ、この数字の重みが分かるのではなかろうか。
社会が認める善なる動機、適切な事業戦略、情勢を読み取る視座とリーダーシップ、実行を担うチームとサポート体制…さまざまな要素が有機的に重なりあって初めて社会に受け入れられる価値が生まれて浸透していく。成功にいたる黄金律は、一般企業でもスポーツチームでも、そして歯科医師会でも同じである。
この4年間の千葉県歯科医師会の活動は、“令和の時代の歯科医師会活動”のベンチマーク・モデルの一つとなっていくのではなかろうか。そして、『8029運動』の灯火は、見果てぬ夢と共に次世代へと受け継がれていく。
歯科医療の価値は、一般社会で認識されているより遥かに高い。それを適切に伝え、浸透させていくために、歯科医療界が有している大きな器の一つが歯科医師会である。歯科医療界には様々な考えがあり、歯科医師にも様々な生き方がある。しかしながら、歯科医療が良いものであってほしいと願う心は一つであろう。
8029という元気な苗木が10年後、20年後に、どのような大樹に育っているのだろうか。思いを馳せる。
執筆者
WHITE CROSS編集部
臨床経験のある歯科医師・歯科衛生士・歯科技工士・歯科関連企業出身者などの歯科医療従事者を中心に構成されており、 専門家の目線で多数の記事を執筆している。数多くの取材経験を通して得たネットワークをもとに、 歯科医療界の役に立つ情報を発信中。